50代からブログを始める意味
50代から英語を独学でやり直せる?で宣言したとおり、私はすぐに休憩します(笑)
突然ですが、みなさんのまわりに、こまめに日記をつけている人はいないですか?
「デスノート」とかじゃないですよ!
記憶力の衰え
中年になってから特に感じるのですが、自分が10代や20代のころに、何を感じていたかということが思い出すことができなくなっています。
そのため、会社の若い人や自分の子供と話すときに、「その頃、自分はどうやったっけ?」と振り返るのですが、その時に日記をつけておけば良かった…と後悔することが多くなりました。
社会人のたしなみとして(?)、毎年、手帳は買っていたのですが、自分で書いた字が自分で読めない始末で、日記を書いたところで後で読めないというオチが確実に待っていましたね…(笑)
一時期は、電子手帳というのを使ったこともありましたが、長文の入力に向いてなかったです。
しかし、毎日パソコンには触ることもあって、キーボード入力はラクなので、仮に日記を継続できるとしたらキーボード入力しかないな~とボンヤリと思っていました。
記録としてのブログ
お勤めの方だけでなく、事務職の方であれば、文書を作成しない日はないと言って良いくらい、毎日、作成に追われているものと思います。
報告書、企画書、稟議書、説明用レジュメ、日々のメールまで、私もさまざまな種類の文書を作成していますが、人事異動などの際に、自分の作成した資料を読み返すことがあります。
後から資料を読み返した時に、あ~当時はこんな考え方でこの資料作ったな~とか懐かしく思い出すことが何度もありまして…。
抗議やクレームの過去資料であっても、当時はとんでもない状況だったとしても、振り返る時となっては懐かしく思い出せるわけです。
みなさんはこんな経験ないですか?
私はSNSを全然やらないので、日々の自分の考えを後になって振り返ることが、これまではそんな時くらいしかなかったです。
逆に、SNSをされるみなさんは、意外と日記的な意味もあって投稿されている方も多いのかもしれません。
しかし、昭和のオッチャンである私は、SNSで自分のことを発信していくのは、なんとなく不安がありまして、記録としてはブログがちょうど良いのかな~なんて思っているのです。
ブログを読む意味
ところで、私のROM専(読むだけの人)歴はなんと数十年に及ぶのですが(笑)、趣味やライフイベントに合わせて、これまで、たくさんのブログを読み漁ってきました。
そのほとんどのブログは、今は見なくなって久しいのですが、ひとつだけ、10年以上継続して読み続けているブログがあります。
あるマイナーな趣味の検索でヒットしたことが始まりです。
その管理人さんは、趣味以外に日々の細かい出来事をアップされていて、しかも結構な頻度で更新されるため、いつのまにか訪問が日課になりました。
更新期間が空くと、会ったこともないのに勝手に心配になるストーカーみたいな感じすらあって…(笑)
いつのまにやら趣味の話はアップされなくなり、もっぱら日々の出来事が多いのですが、新たな挑戦や失敗、自分を飾らないボヤキも取り混ぜた内容で、なぜか読んでて安心するんです。
発言小町もよく見ているので、単にモノ好きなだけかもしれませんが、これだけ長いこと特定のブログを読み続けていると、一方的ですが、自分と無関係な他人事とも思えなくなりました。
そんなことで、他の人のブログ日記は見続けていたわけですが、長い間、自分でブログ日記を書くという発想には至りませんでした。
ブログを書く意味
今回、英語のやり直しをキッカケとして、自分を追い込む意味でブログを始めることにしましたが、改めて、ずっとブログ日記に興味があったことに気付きました。
ブログは単なる日記ではなく、誰かの問題を解決してこそ価値がある…という考え方があるのも良くわかります。
しかし、フツウの50代オッチャンが、仕事や家庭で感じたことが、もしかして、わずかでも、誰かの参考になればラッキー!くらいに軽く考えて書くのもアリなんじゃないかと。
「飲みニュケーション」もすっかりと影が薄くなって、若い人と雑談をする機会がグッと減り、若い人から見ても、オッチャンが何を考えているか分からん…という面もあるかもしれません。
このブログは、主に同年代の方を読者とイメージして発信していきますが、間違えて(?)若い方が読まれた時、「オッチャンも色々とあんのね…」と思ってもらえれば、それだけでありがたいですね!
そういうことで、英語の勉強に特化するのではなく、それ以外の日常ネタを半分くらいは書いていくつもりで、「おとぴんの雑記帳」というブログ名にしました。
日常ネタでも、その半分くらいはボヤキになってしまうかもしれませんが、他人のボヤキでストレス発散できる場合もありますので、たまにお付き合いいただければ幸いです!